【1985年 新任教師Mからの手紙】その5 怒涛の一学期が終わり、とりあえず夏休み、ですが…

ひまわりのイラスト 1985 新任教師Mからの手紙

6月22日

 この前、手紙を出したのがいつで、どんな内容であったのかもまるで忘れてしまっています。とにかく毎日忙しいです。

 中間テストがこの前終わったばかりだというのに、もはやあと一週間で期末テストです。

 担任クラスにおいて、女子と徹底的にうまくいかなかった時から、少しずつ回復の兆しが見えてきました。

 それにしても、大学の頃は、技術科では女子を教えることができないので、せめて担任を持てば、カワイイ女の子と交流がもてると、本当に楽しみにしていたのが、今となると、名簿の右側の女子の名前の〇子、×代、△紀といった名前が本当にオソロシイ感じがします。

 とにかく毎日が忙しく、4月から2カ月たったのですが、いったい私が何をしたのか分からないまま、ただ何となく中学校の教師としての感覚が、中学生との接し方が、分かりかけようとしている感じです。

 毎日、本当にいろんな事がどさくさにまぎれながら起こるのですが、この頃、それらの事を一つずつ、何がどうしてどうだから、そうなったとして、いちいち感動しながら思い返すこともなく、それは毎日が忙しすぎるのか、中学校での生活に慣れてきたためなのか、よく分かりませんが、ただ今日は何日で、あと何日すれば日曜日が来ると、日々を過ごしているような気もします。

 相変わらず学校では爆竹が鳴り、窓ガラスが割れ、シンナーでラリっているヤツが屋根に登って飛び、廊下が水浸しになり、女子にスケベをするヤツがいたり、気がつけば違うクラスのヤツが授業中手を挙げて質問をしたり…。

 担任のクラス運営も課題が山積みしていて、秒刻みで一度に4~5人の生徒から「センセー」攻撃を受け、常にウルサイ、ウルサイと叫び…。

 今、何かと心のゆとりをみつけようと、オフコースを流しながら、一緒に「誰にでも朝はおとずれるから」などと歌っています。考えれば、次の朝は月曜日の朝で、また期末テストに向けての訳のわからん一週間が始まるわけで、頭が痛くなってしまいました。

 今、プライベートなゆとりの時間が欲しいです。本当に欲しいです。

 音楽を聴いて、コーヒーを飲んで、酒を飲んで、静かなところで、山があって川があって海もあったら最高で、読書をお腹いっぱいして、自転車に乗って…。

 私にはまるで計画性がないので、今年、沖縄に行くとかはまるで考えていませんが、何もかも忘れて、一人でどこかへ行きたいです。

 今、昼過ぎですが、これから学校に行って、期末テストに対しての授業計画とテスト問題を考えなければいけません。

 こちらは梅雨の最中ですが、沖縄ではもうぼちぼち梅雨が明ける頃かと思います。元気いっぱいの晴天の下で、沖縄の青い海、白い砂浜に寝そべりながら、海パン一つでビキニの女をチラチラ見ながら、ビールを飲んで、自転車に乗って…、と思うと、居てもたってもいられず、背筋に寒気さえ覚えます。

 時間がないなどと、腑抜けたことは言わずに、毎日が忙しい分、よりいっそう自分を取り戻すために、元気いっぱい気持ちいいこと、楽しいことをしたいです。

7月23日

 もはや京都も完全な夏です。中学校は一応夏休みなのですが、休みといえども毎日予定がびっしりで日曜日までもつぶれてしまいそうです。

 それにしても中間テストから三者面談、成績表づくりまでの期間、本当に忙しくて、毎日戦争のような日が続きました。給料をもらっても、持って帰るのを忘れそうになる始末です。

 自転車も届いたのですが、まるで乗る機会がなくて残念です。

 何かと書類を書く機会も多いのでワープロを買ってしまいました。

 また、情けないほど痩せてしまいました。何しろ朝食は食べず、昼は給食ですが、その指導でめちゃくちゃ忙しく、夜は夜で帰りが遅いので、帰宅途中にお粗末な外食ですませてしまうので、どうしようもありません。

 このところ、そんな生活に反抗して、睡眠不足や疲労が続く中で、毎日学校のプールで泳いでいます。それに加えて、一応は夏休みですので、この機会にできるだけ時間をみつけて、自分の生活に挑戦するつもりです。暇を見つけて手紙を書きます。

 とりあえずは、明日の日曜日、剣道の郡大会のため、6時半に起きなければならないので、このあたりで風呂に入って寝ます。

8月6日

 8月1日から3日の間、全生研の全国大会が岐阜市であり、大会は何となく組合っぽい雰囲気があり、付き合いで行かされるはめになったものの、気がすすまず、そしたらいっそのこ、片道160kmの行程を自転車で行くことにしました。前日、皆と6時30分に京都駅集合で新幹線などで行く気は毛頭なく、車で行こうかとも思ったのですが、夜になって急に自転車のフロントバックとリュックサックに最小限の荷物を詰め込んでしまいました。

 家を出たのが9時30分で、昼食を食べる時以外はほとんど走りづめで、彦根まで来てめげそうになったのですが、あとは行けるとこまで行けと、ただ無心に走っているうちに、関ヶ原を抜けて岐阜に着いてしまいました。夜になっていました。

 受付会場にたどり着いて、とっさに2日の夜のホテルをキャンセルして8月1日のホテルと2日は昼間だけ研修に参加するということで、2日の分科会をちょこっとだけ受講することにしました。

 2日の分科会は思っていたようにまったく息苦しい感じ、ちょうど大学の時の道研のような感じで、2日の午後の部と夜の部の間にホテルに走って戻り、一目散に荷物をまとめて自転車に飛び乗ってしまいました。

 刑務所から脱出するみたいに、全生研からの一刻も早く脱出することだけを考えていたので、まるで行くあてもなく、岐阜市内をぶらついているうちに、大きな建物の横に小さな公園があったので、ベンチに寝そべって何分かすると、何やら大勢の人間がぞろぞろとその建物の中に入っていく気配があり、思わず起き上がると、そこは全生研の夜の部の会場だったのでした。これはヤバイと睡眠不足の体に鞭うって、ベンチを後にしました。

 夜になって、駅の隣に総合案内所とやらがあり、無料の旅行案内かと思い、自転車を降りて入っていくと、部屋の壁に女性の写真が何枚も貼ってあり、まんまとだまされてしまいました。

 その日は関ヶ原の寺で蚊に悩まされながら寝て、翌日、彦根城、安土桃山城などをまわって琵琶湖まで行き、海パンに履き替えて泳ぎました。浜で寝そべっていると、どこからか19,20才くらいの色っぽい女性が一人で歩いて来て、近くに座ったので、これは何か話しかけない手はないと、あれこれ考えているうちに、おっさんがその女性の隣に座って、二人はできているみたいで、父子でもなさそうで、その二人がベッドの上で絡みあっている姿を想像しても思わず怒ってしまいました。

 その夜は、近くの公園の土管の中で眠りました。それせにしても琵琶湖はとんでもなく大きな水たまりだと思います。水平線が見えました。
 

 前に、生徒から一通の暑中見舞いが来て、「先生は夏休みが楽しいですか。僕は一人旅がしたいです」と書いてありました。その子は頭はいいのですが、個性が強く、団体行動がとれない子なのですが、いつもその子の言動の中には、彼なりの哲学みたいなものがあり、面白いです。

 貴殿の手紙にもありましたが、楽しくなければどうしようもありません。特に夏休み中はいつもより自分の時間がつくれるはずです。また盆休みを利用して、自転車でどこかに行こうかと思っています。

 バイクに対する自転車のように、ウインドサーフィンに対するカヌーもかなり多いです。木津川や宇治川なんかをカヌーで流れるのは最高だと思います。

 3日ほど前、マモルが家に来て、高校の同窓会で高田智子と会って話をしたそうです。やっぱりかなりのぺっぴんさんで、今男がいなくてどうのこうの、と話をしていて、2日前、町同研で木津幼稚園に勤めているお母さんに会って、その日、学校にクラブをしに戻った時に、一年生の女子からいきなり「先生、高田智子さん知ってる?」と訊かれたので、思わず問いただすと、その子は高田智子から小学校の時に2年間、ピアノを習っていたそうで、先日遊びに呼ばれた時に、私の話が出てよろしく伝えてほしいと言われたのだそうです。高田智子と喫茶店で向かい合って座った時に見た、彼女の信じられないくらい白いくて細い指、二人で奈良公園を歩いていて、少しだけ触れ合った腕の感覚をいまだに覚えています。近々、どこかでぱったりと会ってしまいそうで怖いような気もします。マモルの話によると、私が通学途中に道が混むのでさけて通る道のバス停に、彼女は毎日バスを待って立っているらしいのです。

 荒木は相変わらず山に行き続けています。付き合っている彼女の歳を考えると、早く結婚した方がいいのにと思うのですが、とにかく山に行っています。

 田代は彼女にどっぷりらしいです。最近は会っていませんが、彼女のアパートの部屋が私の家のトイレの窓から見えるのですが、トイレに行くたびに、彼女といる田代を想像してしまいます。

 マモルは9月まで消防の学校でしごかれています。教官に頭を殴られたらしいのですが、その教官が翌日、拳に包帯を巻いてきて「お前の頭は石でできたんのか、アホ」と怒られたそうです。軍隊みたいやと、ぼやいていました。